2018年03月11日

『ボクらの時代』

糸井重里とサンドウィッチマンの回でした。
淡々といいことをいっぱい言ってたなぁ

糸井重里は震災のことを忘れない証拠として継続できることを考えたと言っていた。
そして気仙沼に支社を立ち上げた。
それまではチャリティーとかボランティアとか苦手だったけど、自分のことだと思ったら恥ずかしいとか思えなくなっていた、と。
でも「立派な人」にはなりたくないんだ、って。
それ、とてもよくわかります。
何気なく誰かの役に立ちたい、そんな気持ちでいるのです。
それが私たちにとっては「青空奨学金」への協力になっているのかも。

サンドウィッチマンが東北を回っていた震災直後はコント内で「死ぬ」という言葉を使わないようにしたそうです。
それは被災した人のためというより、自分たちが使いたくなかったから。
かりにその言葉を使ったコントをしたって現地の人は大笑いしてくれるはず。
でも「不謹慎」という非難は絶対に出てくる。
そしてそれは関係ないところからの声。
きっと今もいろんな悪口言われているんだろうな。
だってさ、オリンピックで活躍した羽生くんやカーリングの選手にも悪口書いている人がたくさんいるんだってさ。悪口時代だね。いやだいやだ。

近年は否定的な発言に過敏に反応する時代だよね。
運動会の練習がうるさいと苦情が来れば無音運動会、とかさ。
苦情を言う(それもSNSとかメールでしょ)人の何倍もの人が「もう運動会の季節なんだなぁ」って微笑ましく思っているのだと思うけど、好意的な人はわざわざ発信しないからね。
このマイナスの声を大きく取り上げる風潮ってどうにかならないもんだろうかね

鼎談の中で、伊達さんが友だちと「また会おうな〜」と別れる時、前は「そうだな」だったのが、震災後は「いつにする?」って日にち決めるって言ったな。
同窓会が凄く増えたそうです。
会いたい人には会っておくべき。
そして言いたいことはちゃんと言う。
なぜなら、明日があるかどうかはわからないから。

毎年の3.11は、震災当時はやっていたこと(お風呂の水をためておくとか)が最近は全然やってないなーとか、もしかして私の中で風化しちゃったんだろうか、とかそんなことを思い出す日でいい、と言っていました。
復興への道は長く険しくて、そこがゴールだと誰が認定するのかそんな人はいない、ゴールテープなんてない、福島の原発を考えると私たちの生きている時にはゴールには絶対に届かない、あとの人に託さなければいけない問題なのだ、と言っていました。
ゴールがどこかわからない、あとどのくらい先なのか誰も教えてくれない。
ところどころに給水所があるだけ。
自分たちは給水所で水を持って立っているくらいの役目だと。

3人とも本当に淡々と話していました。
だからなおのこと心に染みました。

「やるか」「やらないか」と迷った時は「やる」を選択。
会いたい人には絶対に会う。
伝えたい言葉は絶対に伝える、
悔いのない日々を過ごそうと思いました。
たとえそれがテレビの前でゴロゴロしている日々であったとしても、だ!
posted by 元女将 at 23:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする